リーダーと聞けば、どなたを想像しますか?
私は野球をやっていましたので、中学時代の一つ上のキャプテンを想像します。
(残念ながら総理大臣ではありませんでした)
そのキャプテンは、それは自分にも他人にも厳しい方でした。
何しろそのキャプテンが一番野球が好きで「勝ちたい」と思っている方でした。
メンバーは、そのキャプテンの言うことは絶対で、誰も文句を言ったりはしませんでした。その方が惜しまれながらも引退され、私がキャプテンを引き継いだわけですが、当然、全キャプテンのようになろうとしました。
結果、なれませんでした。
自分がどんなキャプテンになりたいかもわからず、更にメンバーから嫌われたくない!勝ちたいけど、結果的に勝てず、チームも纏まらない。私のやり方は、「エラーをするな!」「何やってんだ!」とメンバーに対して文句ばかりを言っていました。そんな日々を過ごし、中坊時代は本当に悩んでいました。風呂で悩みの迷宮に入り、なかなか出てこず、親父から「いつまで入ってんだ!」と怒られるほどでした。
悩んだ末に私は真理に達することができました。
「がんじがらめではダメだ。ある程度は許す度量が必要だ」と。
その後、高校の軟式野球部でもキャプテンに任命され、そのキャプテン時代は、「ある程度許す」ことをしてみると、あまり嫌われず、チームも纏まりました。
その後も、リーダーに近い部分を任されることが多かったのですが、私のリーダーとしての気質は、中学時代に悩んでいたところから形成された気がします。
今でも私はリーダーの本質は二つに分類されると考えています。
①カリスマ性のあるリーダー
②普通のリーダー
カリスマ性のあるリーダーは、中学時代の1つ上のキャプテンがそうだったのでしょう。
これは、その人が持つ本質ですので、あとから身に付けることはなかなか難しいと思います。
殆どの方は普通のリーダーです。私もそうです。
中学時代、なぜ、私が前キャプテンのようになれなかったのか?それは、この本質が違ったからです。
普通のリーダーは、どのようにすれば皆からの信頼を得られるのか?
①メンバーよりも知識を持つ
②チームの目的・目標を統一する 又は 統一するための努力をする
③メンバーをより深く知り個性を認める
以上の3つだと思います。
リーダーはメンバーよりも知識を持たなければなりません。専門知識を持つという意味ではなく、浅くとも物事を着地させることができる知識です。つまり、何か問題が起こった際の対処法がわかるまでの知識です。それが結果的に専門知識であればそれを持つ必要があります。ですのでリーダーには絶対的に勉強が必要です。
チームの目的・目標を統一することに関しては、そのチームの存在意義、そのチームがどうなることが理想かを掲げ、明文化することが大切です。これがあるのとないのとでは纏まり方に大きな差が出ます。結局のところ、メンバーはそのチームに在籍している理由が必ずあります。その理由は実は様々かもしれません。野球でいうと「私は勝ちを優先したい」方と、「私は負けてもいいからワイワイ野球を楽しみたい」と思っている方がいたとしたら、意見が衝突することは必至です。
ですので、そのチームがどこを目指すのかを決めて、メンバーに周知することが必要になります。
最後にメンバーを良く知り、個性を認めるという部分、リーダー最大の力の見せ場であると考えます。これができる度量があるかどうか、でそのリーダーの善し悪しが決まります。人はみな育ってきた環境、考え方、仕草など全て違います。「世界に一つだけの花」ですね。その個性を否定するリーダーの下に誰がついて行きたいのでしょうか?
個性を認めることで時にはリーダーである自分の感性を否定されるかもしれません。とても勇気がいることであると思います。リーダーの度量が大きくなればチームが大きくなるのです。
更にその個性を尊重し、十分な能力を発揮させる、これが私の目指す優れた「普通のリーダー」像です。
多分、私の高校キャプテン時代は無意識に上記3つを実践していたのですね。「チームを纏める為に学習し、そのチームで勝ちたいと目標を定め、メンバーの行動をある程度許し、個性を尊重する」
中学時代、悩んでよかったです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。