2025年5月2日金曜日

たからの歩み(最初の難関)①

 たからデイサービスは、平成18年に産声を上げました。

当時、父が柔道整復師として実家(浅草)で接骨院を経営する傍ら、介護保険に食い込めないものかと考えて立ち上げたのが「たからデイサービス」です。

実家は、以前鼻緒や爪掛けなどの卸売をしていた関係で、2階を倉庫として使っており、その商売が下火になってきたところで、空いていたのを有効活用し、デイサービスを作りました。今でいう、3-4時間の運動デイサービスです。

接骨院の休み時間で水曜日の午後だけ開業するデイサービスでした。

管理者には母がなり、生活相談員は私の妻が担い、介護職員は近所の主婦です。
機能訓練指導員は、父です。まさに3ちゃん商売+主婦ですね。

平成20年、私は脱サラし、実家へと就職します。

当時台東区にデイサービスの数が少なく、特に3-4時間、運動デイの需要は相当ありました。接骨院営業時間を減らし、月曜日から金曜日の午後、デイサービスを開けることにしました。

その後、接骨院を切り離し、デイサービス単体で行うようになるわけです。

月曜日から金曜日の午前、午後と2クールデイサービスを開けます。介護保険のデイサービス単位もいま思えば、そこそこ高く、この頃が一番会社として儲かったときだったと思います。

平成22年、需要は止まらず、デイの稼働率が95%を常に超える様になり、思い切って接骨院を花川戸に移転し、実家の1階でもデイサービスを行うことになりました。更に、利用者のニーズ、ケアマネのニーズが入浴・食事にあると考え、実家の3階を改造し入浴・食事ができるデイサービスへと変貌を遂げます。

ここが、当社のターニングポイントでした。

開設当初から働いてくれていたパート職員さんから、「辞めたい」と言われたのです。

理由は「昔は楽しかったが、入浴を行うようになってからは認知症の方も来るようになるし、排泄介助もすることに。話が当初と全然違う」といわれます。

その通りです。全然違います。

私の思いは、会社が変革を遂げるのは当然でしょ。それについて来られないだけでしょ。そんな感じでした。その後、採用した従業員さんも定着しない方が多かったです。

「経営スキル」を意識し始めたのがこの頃です。
辞める理由はそれぞれです。「実家の仕事を継がなければならなくなった」「家庭の都合で・・・」。建前の理由であることは分かります。本当の理由は?

私は勉強に勉強を重ねます。本を読みかじり、少しでも為になりそうなセミナーにも積極的に参加しました。ここである結論に達します。

「働く方の幸せ」を考えていなかったのですね。確かに、利用者のニーズを追った結果、利用者、家族、ケアマネさんの幸せはある程度かなえられたでしょう。しかしながら、従業員さんを置き去りにしていました。だから定着しなかったのです。

結論(課題)は分かったけど、解決策は?

次回、書いていきます。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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